皇族と日本刀
日本刀は武士が好んだものとして知られていますが、天皇と日本刀の間にも繋がりがあります。日本刀に造詣の深い天皇と言えば後鳥羽天皇でしょう。彼は早くに天皇位に就いたため、上皇になったのは19歳のことでした。その後の活躍は皆さんも日本史の授業で学んだことと思いますが、長い院政を敷いたのです。それが影響したのか分かりませんが、彼には文芸に注力する余裕があり、審美眼を持ち合わせていました。その彼の目を満足させたものの一つが日本刀だったのです。わざわざ名だたる刀匠を自分の下に呼び寄せて、名刀を数多く作らせました。
新しい鍛冶制度も設け、日本刀の発展に大きく貢献したのです。彼は体力もあったため、見るだけでは飽き足らず、自分で刀を鍛えることもあったそうです。また彼は策略家でもありましたから、趣味の日本刀を利用して武器を準備し、鎌倉幕府と渡り合う決意があったようです。因みに天皇や上皇から授かる刀剣は武士にとって特別なものであり、節刀と呼ばれました。後鳥羽上皇は節刀を利用することも考えたのでしょう。さて、天皇家から下賜される刀剣も文化財として貴重ですが、いわゆる名刀についてもお話ししなければなりません。皆さんは「あまくに」と呼ばれる刀匠をご存知でしょうか。
彼の制作した「天国」は名刀の一つに数え挙げられますが、実は銘の入った刀は一つとして見つかっていないのです。奈良時代、平安時代に制作されたと言われているのですが、制作年代があまりにも古いことから、今後も見つかる保証はありません。その意味ではミステリアスな刀剣としても趣深いものがありますが、天国に纏わるエピソードがそれを裏付けているかのように、非常に不思議な話になっているのです。特に有名なエピソードが、豪雨を惹起した話でしょう。
時は江戸時代、1人の戯作者が金欠になり、実家の神社に保管されている「あまくに」を売りに出そうとしました。目的は生活費ではなく、遊興費の捻出でした。実家の何処に金目の物が隠されているのかは分かっていましたから、すぐに盗むことに成功しました。しかし神社を離れたころには雨脚が強くなり、歩く事さえ困難になりました。激しい雨に加えて雷鳴も起こったことから、その戯作者はあまくにの怒りではないかと考え、元の場所に戻したということです。あまくにが戻されると、天候は嘘のように改善したと言います。